知念侑李を中心に世界を回しているジャニヲタが看護師になるまで

看護師になってからもうすぐ一年が経とうとしている。

ジャニヲタが看護師になるまで、を初々しいうちにここに書き記そうと思う。

 


ジャニヲタについて

まず始めに、本職について。私は、HeySayJUMP知念侑李くんを推している。何故かというと存在が天使だからだ。HeySayJUMPには不動のセンター山田涼介がいて、大体その隣でちょこんっといる。

小6の時にデビュー仕立てのHeySayJUMPのメイキングの「ちねんゆうりでーす、13歳です(にこっ)」にやられてからずっと担当だ。他Gのライブなどにはお邪魔することもあるが基本的に担当は知念くん一択である。

無論HeySayJUMP内でもである。

 


看護師について

率直にいうとお金が欲しかった、ヲタク活動を有意義にするために。小6からライブに参戦デビュー。中学はお年玉やお小遣いで近場に来た時だけ参戦。もどかしさと自分の幼さ、財力の無さに苛立ちを覚え、高校に合格する前からバイトを探し始める。高校選択は「バイトが出来るところ」というだけで市内の工業高校へ進学。同級生300人中女子30人というハーレムな世界を経験。それなりに青春できたと思う。5月よりアルバイト開始し、高校生にて月5~6万稼ぎ、ほぼ知念くんへ垂れ流し。将来の夢は特に明確ではなかったため稼げる仕事というだけで看護の4年大学へ進学。指定校推薦のためバイトで培ったコミュ力で難なく突破。そして4年間にわたるそんなにやりたくもない看護の勉強が始まる。

 


国家試験について2年生の頃から少しずつオリエンテーションはあったが2年後のことよりも3年次に開催されるツアー(各論実習)に怯える。

2年次は2年次で座学の試験に追われレポートに追われ売れっ子だったと思う。(ある意味)

 


ちなみに各論実習は月~金は臨床実習、土日休みという5日勤。土日は大体課題を仕上げたり見直したりとてつもなく多い記録を終わらせるという時間に当てる、のが本来の土日らしい。

私の場合は各論期間であろうがヲタクを休みたくないという一心から月~金は実習、土日バイトという、どちゃくそハードスケジュールを半年間こなすのである。

あの時の体力は半端なかった。

むしろ土日バイトを休みにして東京に住む彼氏の元へ遠征したりかなり手を抜いた実習生活を送っていたと思う。

実習期間の土日に、羽田で先生に遭遇したりと危険な場面もあったが難なく乗り越えた。

ハードスケジュールをこなすに連れて要領よく課題をこなすことを覚えたことはとてもいいことだ。

 


バイトばかりしているとすぐ4年生になった。

 


4月

国試についてのオリエンテーションの長さはハンパない。先輩の失敗話は怖くて聞けないわ、

最初のオリエンテーションで覚えている言葉がある。

「先輩は勉強しているのに、全然勉強してない、と言ってくるから気をつけろ」

その時は意図を汲み取れなかったが2月頃同じような発言を1日に1回は口にする10時間程机に向かっているのに「やば、勉強してない」恐ろしい。

この時は呑気中の呑気で90%が合格するテストだろ?と思っていたし、この考えがやばいことは後に知る。

 


5月~8月

学校で開催されるDVD学習に関してはほぼ参加せず。バイトだからね。

看護研究ばっかりの毎日でとても苦痛だった。特にゼミの先生は頭の固いし、成人領域の高齢者だし。

模試も何回か受けたが合格点には少し届かないぐらい。勉強していないのに(無駄に高い運が勉強意欲を削ぐ)。

ちなみに夏には横アリライブにも参戦。

 


9~12月

周りの友達が本格的に国試勉強を始める。

午前中は図書室で勉強し、昼からはバイトだから帰るわという生活が始まる。なんて士気の低いことをしてたんだろうと思う、すまんな。

なんとなく勉強したくなくて最低限の提出物と、模試で点数を取れそうなところだけをピックアップして勉強に励む、国試を目標にしているというより模試が目標だったかもしれない。

 


1月

1/15、バイトを一旦お休みすることに。

今更かよと思ったでしょう。そう、国試1ヶ月前。

危機感を感じた私は約8~10時間程度毎日勉強するようになる。夜中も。一緒に勉強する仲間がいたのは大きかった。ストレス解消に黒板でふざけて書いたイラストが国試に出ることもある(音叉の奴)。

 


なんやかんや当日を迎えるまでは仲良しの友達と大学にほぼ1日中こもり、お昼ご飯の時間も少しずつ勉強に当てられるようになり大体1日10~12時間やってた気がする。人生でこんなに勉強したことないって今更思うけどほんそれ。

 


前泊組なので前日も前から決めてたお気に入り問題集を持ち込んで一通り解いたら就寝。珍しく1時間ぐらい寝れなかったが覚醒は良好。

朝食会場に向かい見慣れた友達見慣れた参考書を手にがっつり朝食。

 


当日はバスに乗って会場まで。

始まったとしてもやたら話が長いのと、チェックをするのでこの間にもうすでにうとうとしてしまう。

試験自体は緊張感を持って回答できたけど、

試験中の敵は尿意。午前の試験中に突然の尿意により集中力がぷちんと切れた。

トイレは1人ずつしかいけないので手を挙げた人が1人ずつ行く感じ。

行きたくても手を挙げる勇気が必要ではあるがこんなにがんばってきたのに尿に負けるのは嫌だと決心しトイレへ。

 


教室の外ではついてきてくれている先生が待機していたのでアイコンタクト。これ案外一番ファイト!をもらったかもしれん。 

 


試験は終わってバスで帰る。

バスではここがこうだった!と答え合わせをしたくなる気持ちもわかるけど抑えような。

 


合格発表までは遊び散らかして、バイトばっかりして。ヲタクやってた。

 


これは第108回看護師国家試験の前日に書いている。

優しい問題ほど裏をかいてやる精神のせいで誤答することもある。物事の本質を見極めるのだ。哲学的だわ~

 


看護師になりたいたくさんのヲタクよ、

案外休みあるし、休み希望もある。遠征だってお金の心配はない。さて、今日も経済を回すぞ。

 

知念侑李に恋に落ちた瞬間

平成の時代を高くJUMPしたいという大きなコンセプトをもとにデビューしてからはや10年がすぎようとしている今日この頃

 

メンバー自身が懐古ぎみなトークが多くなり、私も懐古してみようと思った(自己満記事なのであしからず)

 

母が無類のジャニヲタであった我が家ではジャニーズのある生活が当たり前であった(光源氏SMAP世代)その証拠に2歳頃からジャニーズショップに出向いている写真や当時最先端のプリントシール機により数百円で堂本光一王子との2ショットを獲得しているのを見せられたこともある位である

 

遺伝的なジャニヲタの血は争えず、ずぶずぶと沼にはまることになる

 

小学生のころは嵐やキスマイ(この時代もジュニア担は多くいた)のジャニヲタがいる中ひっそりとV6のいのっちを応援していた

コンサートに行くお金もないし、という小学生らしい理由で現場に出向くことはなかったがなぜか家にはイノッチのうちわはあった

 

そんなこんなで小学生をしていた2007年の秋、私が小学6年生の時、母のすすめでデビューシングルを購入。母はya-ya-yahが好きでやぶひかを推していた

正直ジャニーズに少し飽きてきた時期であり「通常版でいいよ」という今考えたら何言ってんだと思う発言をしていた

母は知ってか知らずか「絶対初回版がいいよ」と太鼓判を押してきたのである

今思えばここが人生のターニングポイントである

 

帰るまでの車の中は1つ下の妹と裏面のメンバーを見てどの子がかっこいいかという話で盛り上がる(のちに妹も泥沼に)

 

第一印象の私の担当は岡本くんであった

理由は全く覚えてない

ちなみに妹の第一印象は知念くんで、

後に姉が知念担、妹が岡本、伊野尾担になったのはほかでもない(不思議)

 

家に帰って即座にDVDを再生する

 

PV、なにこれかわいい

なんかかわいい、V6にはないフレッシュさ(失礼)に衝撃を受けた私小6

 

メイキング…メイキング…

 

 

皆さんご存知でしょうか、umpのメイキング

 

「ちねんゆうりでーす! じゅうさんさいです(にこ)」

 

・・・

 

 

おちた

 

 

たった一言で、もはや自己紹介で恋に落ちて

今までにない鼓動が胸を打ったのです

 

動悸じゃないが、ドキドキがとまらない感じ

 

その日からすり切れるまでDVDを再生

その日のうちに初回版プレスも通常版も買い足しにいき、この日から知念担としての人生がはじまったのです

 

 

じつはニンニン忍者ハットリ君も見てはいたのですが、その時には恋におちず…

不思議なものだ

 

まだ自分自身が12歳だったこともあり、東京ドームのライブには連れて行ってもらえず(DVDは色あせる位見た)

 

初めてのライブはファーストツアーの大阪城ホールだったのですが、

そこで伊野尾、高木にファンサされて降りそうになるふしだらな妹

姉は双眼鏡でひたすら知念

はじめての生アイドルはこれ以上なく輝いて、この小さい体で大きな舞台を虜にしている感覚に鳥肌がとまらなかったのを記憶している

 

この恋に落ちた感覚を10年経った今でも昨日のことかのように鮮明に覚えている

 

 

時はすぎ2016年12月31日、大晦日

田舎から出てきて私は東京ドームにいた

Hey!Say!JUMPのカウントダウンコンサートの大晦日コンサートに参戦しているのである

近年倍率がえぐい中、私の名義は1つなのにいつも良席を与えてくれる。人生の半分位の運はここで使われていると思う

 

このコンサートでも私の名義はいい仕事をしてくれた。

スタンド2列目である(東京ドームはじめてで当日までどこなの良さそうだけど…という毎日が続いていた)

 

これは!まさに、まちこがれてたこの日がきたよ

状態である

 

加えて地元の山田担と入れたことも嬉しく思う、飛行機で東京入りした私にはグッズに並ぶ権利はなかったからである、どうお礼していいか分からないくらい感謝してる…over ?

 

会場入りして着席したが溢れ出した感情がとまらず友人をたたきまくるという自己防御に入ってしまったことにも申し訳なく思う

 

個人的にdearツアーの構成が大好きでさすが山田さすがJUMPのセンターとほめたたえ、崇拝したライブ構成だったため、どんなアレンジがされるのか楽しみだったし、ステージがこのままジャニーズカウントダウンで使用されると思うと胸が熱くなった

 

いざはじまると近いわセトリは良いわ、うさみみのガンバレッツゴーのかわいさにもだえた

バズーカで飛ばしたうさぎのぬいぐるみはTwitterに画像が出回ってすぐアマゾンで注文したため欠品の前に購入できるという奇跡1週間後には手元にあったもの

その後在庫がない、時間がかかるという表示も一時的にあり、影響力を痛感した

 

話がものすごくずれたが、このライブ中の出来事。夢ではない(はず)

 

天使のお立ち台(すごく小さいステージが外周の9カ所にあって、天に上がっていくステージ)とよんでいるステージ

東京ドームには55000人がいる中、

広い土地を表す時東京ドーム何個分とかいうよくわからないたとえが多い中、

天使のお立ち台に立ったのは

 

知念 天使 侑李

 

死んだ、と思った

数メートルの距離に夢に見た10年近く愛を、諭吉を捧げているちねんくんがいるのです

胸熱を通り越して細胞熱、細胞レベルで恋してるってこのことだよね、ブルゾンねえさん

 

キラキラ光れと明日エルだったかな、おぼえてないけど2曲分その空間にいてくれる幸せはたまらない

 

目の前にすると恥ずかしくて目をあわせられない系ジャニヲタなのでもう、めっちゃ照れた((((

 

初日ということもあり、立ち位置が分かってないつむつむするお姉さんもいない。

周りには知念担1人だったのです、これも持ってるなって思った

周りの方がこの子知念担だからこっちこっち!ってしてくれる見ず知らずの伊野尾担、有岡担、山田担…スタバでもおごりたい勢い

 

もうたくさん見てくれて微笑んでくれて(自意識過剰上等

 

時間にすると2分もない一瞬だったけど

私には2人だけの世界に思えて

そのときの鼓動となったらもう隣の山田担にきこえるんちゃうかと思う位大きいのなんの

 

結論を言うと

 

 

上へ上へとのぼっていく天使は恋に落ちた10年前の彼と同じ表情でした

 

 

10周年、これからの飛躍を信じてついていこう

革命前夜の決意を持って

 

 

 

 

(追記) 母には頭があがらない

 

 

2017.04.08